映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

現在使用されている暦についてその歴史を紐解いた映画『天地明察』が公開され、意外と知らない日本の暦形成までの苦悩と葛藤を知ることになった作品だ。何気なく使用しているカレンダーは、まだまだ世界でその技術を切磋琢磨して形成している。ここは天地明察のテーマにもなった暦を、ここでは映画と小説の内容と共に考えて考察するサイトとなっている。

太陰太陽暦について

暦法の1つ

日本の和暦として中国から持ち込まれた暦が使用されて、更にその後渋川春海によって日本製の暦が誕生するなどその歴史を垣間見ることになったと思うが、先ほどの項目で紹介した暦の種類に共通して利用されている暦法が『太陰太陽暦』というものだ。こちらは月の満ち欠け周期を参考にして作成されており、閏月を挟みこむことによって実際の季節とのずれを補正した暦となっている。

この閏月を挿入するとはどういうことなのかというと、太陰暦において太陽が黄道上の分点と支店から出て再び各点に戻ってくるまでの周期となっている1回帰年に近い数値として、12ヶ月を1年とした場合において、1年が354日となって太陽暦と比べると11日も短くなる。太陰暦ではこうしたずれが出てしまうとして問題となっていたが、それを解消するために考え出されたのが閏月の差込による調整だった。結果としてこの閏月を19年に7回挿入することで暦を運用できるといわれ、世界各地で行われていた。

詳しく調べるとさすがに専門用語を多数使用することになってしまうため、このくらいで留めておこうと思う。では日本も実際に活用して享貞暦以降の和暦作成にも利用されていた太陰太陽暦について考察してみる。

日本における太陰太陽暦の歴史

日本の歴史において始めて国内で太陰太陽暦を使用する事例が確認できたのは、宣明暦の後に登場する享貞暦時における改変においてようやく使用されていた。それまで導入されていた暦は全て中国で開発されていたものをそのまま和暦として導入しただけの、日本の地形などを一切込みで考えていないものだった。それではずれが生じてしまうのも仕方がないだろう、そしてこうした点を渋川春海が発見したことによって間違っていると唱えたことにより、日本には日本の暦を形成することへと繋がるきっかけを作り出した。ただその歴史も約200年足らずで終焉を迎えてしまい、暦法としての歴史に関しては言うならあまり長い間日本で利用されていないものだったということがわかるだろう。

日本ではそう長い間使われていたモノではないが、それ以外の国では太陰太陽暦を使用している時間の長さは比べ物にならない。

世界各地の太陰太陽暦

ユーラシア大陸の場合

人類史上最も古く、そして何事も人としての有史を語る上で出てくる4大文明の1つでもある『メソポタミア文明』において、太陰太陽暦はその頃から使用されている。またエジプトを除いたユーラシアの広大な大陸に属している各国々においても最も古くから使用されていた。その歴史は紀元前2000年頃からすでに技術として完成されており、その後メトン周期なども開発していくと暦法そのものの正確さも伴っていった。

ヨーロッパの場合

では次にヨーロッパについてだが、こちらに関しても古代ギリシア・古代ローマにおいて太陰太陽暦が採用・使用されていた。特に古代ローマにおいては当初、春分を年初の基準とするやり方である太陰太陽暦の基本に対して、春分前後の新月を第1月として、10月を数えた後は翌春まで暦を無くしてしまうという大雑把な作り方となっている。その後太陰太陽暦として形を整えることになるが、方法論として利用されている閏年の挿入については、時の政治家達によって恣意的に行われる事件が発生してしまった。その結果、ユリウス・カエサルは太陰暦から太陽暦へと移行させるなどの対策に駆られることになる。

カエサルの政策によって登場するのが『ユリウス暦』と呼ばれるモノで、これはローマ帝国内ではキリスト教が正式採用していたが、その日付では新約聖書などにおいて記録されているキリストの復活の故事をがユダヤ暦の日付で記されていたこともあり、キリスト教最大の祝祭でもある復活祭を祝うためには、太陽暦を取り入れて作られたユリウス暦では不足してしまっていた。

そうした問題を解消するために、太陽暦であるユリウス暦を元にして春分の日を3月21日に固定することによって、今度は月の朔望を考えて春分直後の満月の日を計算することによって、復活際の日付を算出する『エパクト』という計算方法を導入することによって、教会暦の不可欠な要素として組み込まなくてはならなくなるといった、やはり少し面倒な展開になってしまった。そういった意味で現在のヨーロッパにおける暦に関して言えば、太陽暦と太陰太陽暦の二重構造が取られているという、少し難しい構造をしている。

中華圏の場合

閏年を挿入することで季節のずれを調整するやり方が考案されたが、中国ではまた少し違った手段を用いている。中華圏においては暦と季節のずれを検出するための手段として、二十四節気が導入されるといった独自性を見せた。この方法は二十四節気は1つおきに正節と中気に分けられ、正節から次の正節までの間を節月と呼んでいる。この節月とは約30日間となっており、1朔望月よりも長く計算されている。そのため暦と季節のずれが蓄積されていくと中気を含まない月が生じることになる。この中気を含まない月を閏年とし、その月名も月に含まれる中気によって決められていく。

この二十四節気については日本でも採用されており、江戸時代頃に採用されていた暦から実際に導入されていた。ただ日本とは気候が似ているわけではないため、更に日本的な区分けを取り入れていったのが日本の旧暦としても活用されている。

二十四節気についての日本の動き

日本にそぐわない気候があるとなっているが、それは現代になればなるほど言葉で表現されるような季節ではないと実感するような日々が続いている。世界各地に見られる異常気象の影響ももちろん否定できない中で、日本では日本独自の新しい現代版二十四節気の製作をしようと試みた。この試作については一般からの公募も寄せられるなどして、『21世紀の二十四節気』といった触れ込みで普及させていこうとする動きもあった。しかし反対派の声が強かったこともあり、計画事態が頓挫してしまった。