映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

現在使用されている暦についてその歴史を紐解いた映画『天地明察』が公開され、意外と知らない日本の暦形成までの苦悩と葛藤を知ることになった作品だ。何気なく使用しているカレンダーは、まだまだ世界でその技術を切磋琢磨して形成している。ここは天地明察のテーマにもなった暦を、ここでは映画と小説の内容と共に考えて考察するサイトとなっている。

グレゴリオ暦を考察

世界統一されていた暦

古代ローマで開発されたユリウス暦、これはその後歴史的変遷を積み重ねることによって1つの暦法を生み出すことになる。1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世によってそれまで利用されていたユリウス暦を改良することによって誕生したのが、『グレゴリオ暦』と呼ばれるものだ。この暦法は現在世界中で利用されているモノで、日本でも一般的な年号として証明するために用いられている暦法となっている。またこのグレゴリオ暦法を応用した紀年法のことも含めてグレゴリオ暦と称している。現在の西暦表示は全てグレゴリオ暦となっているが、日本人として考えた場合和暦としても用いられている元号を使用することと、グレゴリオ暦において表記される西暦表示、どちらが一番分かりやすいだろうか。筆者個人の意見としてはダントツで西暦、つまりグレゴリオ暦の方が軍配が上がる。平成などの元号になるとどうしても数字に関して鈍くなってしまうといった問題を抱えているように思えるからだ。またいずれ3桁で構成される元号も少しどうだろうと思う点だと述べたが、こうした点でも何かと不便な点ではある。

そんな世界標準として既に利用されているグレゴリオ暦とはどのようなものなのか、そちらについて詳しく考察してみよう。

制定までの経緯

まずはグレゴリオ暦制定の敬意についてだが、こちらはキリスト教徒との関係がやはり特に強くなっている。その中でも復活祭については必ず行事として取り入れなくてはならないものとなっており、この復活際は日本で言うところの春分の日において開催されると定義されている。この定義は古代期において毎年3月21日に開催すると取り決められると、その後カエサルによって紀元前45年に制定されて以降、キリスト教文化圏を中心に使用されてきたユリウス暦は、歴年の平均年数を365.25日とする近似法を生み出した。しかし太陽年にて挿げ替えてみると3月21日の春分の日は毎年ずれが生じてしまっている。

こうしたずれは16世紀後半頃においてユリウス暦上の春分日である3月21日に対して、実際の春分の日は平均してユリウス暦上の3月11日となってしまい、定義において定められている日にちとは10日といったずれを生み出してしまっていた。さすがにこれではまずいとしてローマ・カトリック教会は改暦委員会に暦法改正を委託した。その後誕生したのが現在までに語れている新しい暦法は1582年にて発布されるのだった。

グレゴリオ暦を導入した国々の反応

日本において

ここでは詳しい計算方法などは全て割愛させてもらい、実際にグレゴリオ暦が誕生してから世界に広まるまでの歴史を見ていこう。まず始めに日本におけるグレゴリオ暦の導入についてだが、導入されたのは明治時代となっているが、その際に国民へ連絡は何一つ行われること無く、突如としてそれまで使用していた天保暦をすぐさま旧暦とし、新生するとしたのだ。こうした突如として巻き起こった展開に社会的な混乱が巻きおこってしまい、暦の販売権を獲得している『弘暦者』については旧暦をベースにした暦を販売していたが、突如としてグレゴリオ暦となってしまったために、改変しなければならなくなり、さらに返品が相次いでしまうなどの問題に遭遇してしまい多大な被害を被ることになった。

突如として行われた改変について福沢諭吉などの権力者達も正当性を唱えているが、その原因については明治維新政府における財政圧迫という現実だった。太陰太陽暦をそのまま使用し続けてしまうと、閏年における調整が加わり、1年が13ヶ月となってしまい、それでは官吏に支払う給与回数が13回になってしまうことを避けたかった、というのが実情だと言われている。

このグレゴリオ暦の公布と施行については一ヶ月と満たない期間で慌てて行われてしまったため、布告の段階で置閏法に不備が生じていた。しかもその不備とはグレゴリオ暦において最も重要な要素である『西暦の年数が100で割り切れ、400で割り切れない年を閏年としない』、旨の規定が欠落してしまっていた。そのままではユリウス暦と同じ閏年の置き方を採用した日本独自の暦とされてしまうため、問題解消のための修正部分を公布するなど、作業に手間取る一幕があった。意気揚々と維新を巻き起こしていながら、その後の状態を見ると先行き不安だらけの政府だった事が、ここでもよく分かるところだ。

キリスト流派において

日本では大混乱を巻き起こしたグレゴリオ暦だが、それ以外の、特にキリスト教はにおいてはどのように導入されていったのかを少し分析してみよう。

プロテスタントの場合
プロテスタントとしてはグレゴリオ暦の導入には消極的だった、その理由は復活祭の日付を特定してしまうことにあった。教徒たちにとって神聖とされている祭事の日程が既に決められている暦を、カトリックが定めた日にちにあわせる事が何よりも屈辱的に感じたという。しかしユリウス暦のずれは著しいものだったため、さすがにそれではまずいだろうと態度を徐々に軟化させていく国々が出てきた。中には日付設定にはグレゴリオ暦を利用し、復活際の日付の計算についてはルドルフ星表を使うことで妥協するなど、改良暦としてグレゴリオ暦を受け入れていった。
正教会の場合
グレゴリオ暦を受け入れるまでに時間が掛かったのはプロテスタントだけではなく、東ヨーロッパ諸国たる東欧地域に浸透するまでには多大な時間が経過する。16世紀ごろにはグレゴリオ暦を認める教会は存在しておらず、それだけカトリックとは埋められない溝が存在していることを顕著にした。現在でもフィンランド正教会はグレゴリオ暦を使用していない。またエルサレム株主教庁、グルジア正教会、ロシア正教会、セルビア正教会、日本正教会などはユリウス暦を使用している。しかしそれも必ずしも国の機関すべてが賛同しておらず、また一般社会ではグレゴリオ暦を採用しているなど複雑な仕組みとなっている。